村上春樹『風の歌を聴け』

 村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』を読んだ。アンチでもなんでもないのだけど、これまで村上春樹の小説をあまり読んでこなかったので、これから刊行順に中篇と長篇を読んでいこうと思っている。

風の歌を聴け (講談社文庫)

風の歌を聴け (講談社文庫)

 

 1970年の夏、東京の大学で生物学を学ぶ21歳の〈僕〉が、海辺の町に帰省した8/8~8/26の18日間を、29歳になった〈僕〉が回想するという手記のスタイルで書かれている。その夏は猛暑で「ビール美味いわー」って、〈僕〉は友人の〈鼠〉とともに「ジェイズ・バー」に通い、そこで出会った左手の指が4本の女といい仲になったりする。

 日本を舞台にした小説だと感じさせないようなアメリカ文学の文体を真似て書かれていて、その文章に文句をつけられないよう、架空の作家デレク・ハートフィールドに文章を学んだという体にしたり、「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」という言葉を冒頭に置いたり、人死にとセックスがある小説に〈鼠の小説には優れた点が二つある。まずセックス・シーンの無いことと、それから一人も人が死なないことだ。〉と書いたりして、予防線を張りまくってあって、上手いというよりあざといなあ、と感じた。あと、他の文学作品や音楽、映画などいろんなジャンルの創作物を自作に取り込む手法はデビューのときからだったんですね。

 ただひと夏の思い出について書かれているだけではなく、「自殺」について書かれた小説でもある。架空の作家、デレク・ハートフィールドエンパイア・ステートビルから飛び降り自殺し、〈僕〉の三番目の恋人は首吊り自殺し、ハートフィールドの小説「火星の井戸」でも主人公は拳銃自殺する。〈僕〉は三番目の恋人の自殺についてずっと後悔しているし、自殺の理由もわからないという。文庫本のあらすじでは〈乾いた軽快なタッチ〉で書かれたとあるけど、主人公の〈僕〉はクールでもドライでもなくスーパーウェットな男だなあ、と思った。

 象とか、コーラ漬けのホットケーキとか、井戸とか出てきて、ハルキ作品の名所巡りみたいな感覚も味わえたし、女たらしの〈僕〉とボンボンでワナビな〈鼠〉のコンビのイラッとする言動を結構楽しみながら読めたので、まあ面白かったです。

 

村上春樹風の歌を聴け』1979(講談社文庫)】

 

 

パトリク・オウジェドニーク『エウロペアナ ニ〇世紀史概説』

 白水社の《エクス・リブリス》から出た、チェコの作家、パトリク・オウジェドニークの『エウロペアナ』を読んだ。副題は〈二〇世紀史概説〉で、主にヨーロッパを中心とした20世紀の歴史が語られる。装幀にはガスマスクを装着した二人のドイツ軍兵士の間に同じくガスマスクを着けたラバが並んでいる写真が使われていて、とてもかわゆい。

エウロペアナ: 二〇世紀史概説 (エクス・リブリス)

エウロペアナ: 二〇世紀史概説 (エクス・リブリス)

 

 20世紀といえば殺戮の世紀なのだけれども、陰惨なエピソードをいくつも列挙しつつ、語り口はどこか飄々としていて面白かった。普通の歴史書と違うのは、20世紀の出来事や発明を年代順に単線的に記述していくのではなく、時系列をバラバラにシャッフリングしながら語っていく点である。さらに文中に多分に伝聞や引用を含みながら、虚実入り交じるところがフィクショナルであった。66の断章形式で、全体がバラバラにならないように同じ記述を何度も繰り返したりしているのだけれど、それはちょっとくどいかな。それぞれのエピソード自体は初耳のものもあったりして興味深かったし、20世紀の歴史をこれほど凝縮してみせる手腕は見事だけど、小説的な情感がない淡々とした描写が連続するので、少し薄味だったなあ。

 

【Patrik Ouředník:Europeana. Stručné dějiny dvacátého věku,2001/阿部賢一・篠原琢訳『エウロペアナ 二〇世紀史概説』2014(白水社)】

舞城王太郎『バイオーグ・トリニティ掌篇集』

 ウルトラジャンプ2014年11月の付録は舞城王太郎の文庫本で、「呼ぶ声日子」(ウルトラジャンプ2014年月号初出)と「箱運ぶ鳥」(書下ろし)という二作が収録されている。付録としては上出来で、160ページあって、ちゃんとしたカバーもついてて、造りは通常の集英社文庫とそんなに変わらない。

ウルトラジャンプ 2014年 11月号 [雑誌]

ウルトラジャンプ 2014年 11月号 [雑誌]

 

  福井特別編ってことで、舞台は毎度おなじみの福井県西暁町である。両手に穴が空いて、その穴からものを吸い込んで融合しちゃえるっていう設定は本編ともちろん同じで、この穴が空いた16歳の春原秀雄が主人公となる。秀雄の家族は離婚問題を抱えていて一家はバラバラなのだけれど、家族をまるごと掌に吸い込んじゃうわけにもいかず、なんか吸い込むもんないかなってことで山に入ったところ、その山ん中には結界が張られてて、これはヤバイぞと駆け逃げてたら、勢いあまって崖からなんか吸い込みながら落下してしまい、気を失ってる時に呼ぶ声日子(よぶこえひこ)っていう神様に出遭うってのが「呼ぶ声日子」の導入部で、すったもんだがあって続編「箱運ぶ鳥」につながる。

 舞城王太郎は短篇より長篇の方が好きなのだけど、この掌篇集は二作とも面白かった。秀雄によって、ヨブコ、ヨブコ、と呼ばれる呼ぶ声日子は『ディスコ探偵水曜日』の梢なみに可愛いし、バラバラ生首タワーも出てくるし、時間操作もなかなかかっこいい。本編のマンガを読んでなくても愉しめる内容なんで、舞城作品好きな人は読んで損はないかと。

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舞城王太郎バイオーグ・トリニティ掌篇集』2014(集英社UJ文庫)】

 

柴崎友香「見えない」

 「建築と日常」の別冊「窓の観察」に収録されている柴崎友香の短篇「見えない」を読んだ。この「窓の観察」は64ページと薄い本だけど、「見えない」の他にもqp(画家)による窓を写した連作写真や、中山英之(建築家)による絵本が収録されている。

窓の観察(建築と日常別冊)

窓の観察(建築と日常別冊)

 

 アパートの2階、右端の部屋に住んでいる〈住人〉が視点人物。アパートの裏にあった、高さ20メートルはある大木の枝が切り落とされたことにより、伸びきった枝でそれまで見えていなかった窓越しの風景が現れる。窓から覗いて右側、アパートから90度の位置に、4階建てのベランダのないマンションが出現し、そのマンションの壁には縦横4×4の計16枚の窓が並んでいて、〈住人〉はそのマンションの窓際の様子や部屋の明かり、窓の開閉なんかを観察できるようになる。

 アパートとマンションが対面でないため、部屋の中まで覗き込むことはできず、マンションの住人の顔を〈住人〉が直接見ることはない。カーテンもあるし、この小説に覗き趣味的ないやらしさはない。観察を続けるうちに殺人事件を目撃し…なんていうサスペンスフルな話の展開はないけれど、小説内の空間設計がしっかりとしていて、〈住人〉の視線の動きを追うのが楽しかった。

 この小説には、固有名詞がほとんど出てこない。〈住人〉については、名前も年齢も性別も明らかにされていない。窓の観察と合わせて、枝を切り落とされた裏の大木の成長も〈住人〉によって観察されるのだけど、この大木も種類は判別されずに「雑種」と呼ばれる。小説内でしっかり構成された空間の中に、抽象的なものが配置されている。

 毎朝、通勤する電車の中で、住人はずっと外を見ている。車窓の向こうの、一戸建て、マンション、雑居ビル、学校、鉄塔。ただぼんやり視線を向けているだけで、それなりのスピードで移り変わっていくことが、不精ものの住人にとっては素晴らしいことに思えた。もうすぐ丸二年、毎日毎日見ていて、あの家が改築したことも、駅ビルの階段でいつも煙草を吸っている女がいるのも知っているが、どの部屋ともどの人とも自分は関係がないことが、不思議でしかたなかった。

 ここで書かれている〈住人〉が感じる不思議さと似たものを、この小説を読みながら実感した。この〈住人〉っていうのは決して自分自身のことではないのだけど、なんか近所にいそうで、妙な身近さを感じた。あと、この小説は窓際に犬も出てくる。かわいいなあってなった。

 

柴崎友香「見えない」2012(「建築と日常」別冊「窓の観察」収録)】

閻連科『愉楽』

 発売前から話題で、中国版『異形の愛』だと聞いており、そりゃもうかなり楽しみにしていたのだけど、読んでみたら期待にたがわぬ面白さで度肝を抜かれた。

愉楽

愉楽

 

 レーニンの遺体を購入し、それを展示する記念館を建造して、観光の目玉にしようと企てている県長の男が、その計画の資金調達のため、障害者ばかりが住む「受活村」の異能の者たちを寄せ集め、絶技団を結成させ全国巡業を始めるが…というのがメインの話。また、本文の用語の註釈部分として「くどい話」というのが加わり、この「くどい話」の部分で「受活村」や登場人物たちが、社会主義革命で被った受難の歴史が語られる。

雪じゃ!うだるような夏の暑さに、人間様はただでさえ受活でないのに、雪が降った。しかも雪も雪、大暑雪だ。〈p.9〉

 冒頭からいきなりぶちかましております。因みに「くどい話」によると、「受活」っていうのは方言で、楽しむ、享受する、愉快だ、痛快でたまらないなどの意であり、また苦しい中でも楽しむという意味を暗に含んでいるとのこと。

片足猿の演目は断脚跳飛、つんぼは耳上爆発、片目は独眼穿針、下半身不随は葉上刺繍、めくらの桐花は聡耳聴音、小児麻痺は装脚瓶靴、おしは以心伝心だ。〈p.155〉

 物語自体はヘビーな内容で、読んでいて苦しくなることもあったけど、絶技団の演目や個性的な登場人物が面白くて否応なしに引き込まれてしまう。まさに「受活」でございます。それにしても、本書に渦巻く登場人物たちの喜び、怒り、哀しみ、怨みの感情は猛烈だった。影響を受けて、読んでいる間中ずっと脳内がぐおんぐおんとなっていた。

 「くどい話」という註釈部分もだけど、方言と標準語が入り交じる文体とか、奇数だけの章番号とか、動植物のモチーフとか、形式的にもこだわった書き方がされていて、内容は異なるけど阿部和重の『ピストルズ』を思い出した。ただ、その形式性によって自縄自縛に陥ることなく、想像力が存分に発揮されている点で、閻連科の力量が分かり、畏れ入った。

 閻連科って多作で、翻訳はまだまだ少ないので、今後どんどん訳されてほしいなあ。あと、キャサリン・ダンの『異形の愛』も復刊してもらいたいです。どうかお願いいたします。

 

【閻連科:受活,2004/谷川毅訳『愉楽』2014(河出書房新社)】

木下古栗「人間の本性を考える」

 「小説すばる」2014年10月号掲載作品。短篇。古栗のために「小説すばる」生まれて初めて買った。というか、読むのも初めてか「小説すばる」。古栗の「小説すばる」デビュー作であります。

 

小説すばる 2014年 10月号 [雑誌]

小説すばる 2014年 10月号 [雑誌]

 

 

 

*******以下、ネタバレがあります*******

 

 

 個人投資家の山本広重が、就寝中に携帯電話を肛門に挿入されていた体験と、自らの投資家としての遍歴を聴衆の前でプレゼンする、という内容なのだけれども、開始早々、肛門、肛門、肛門、肛門、と連呼していて、「小説すばる」誌上においても古栗は頼もしい。下ネタばかりなのに、聴衆(読者である〈あなた〉も含まれる)に対して、ところどころで「下品な話で申し訳ありません」と白々しく詫びるのが、かなり笑えた。

 タイトルは、スティーヴン・ピンカーの著作の邦題から借用したみたいで、ピンカー読んだことないのだけれども、TEDでプレゼンしている動画を見たら、そこにはユーモアを交えながら〈真面目な話〉をするピンカーさんがいた。もちろんアヌスの話は出てきません。

 出だしの肛門ネタにはちゃんとオチがあって、見事に着地する。ええ、ええ、そうですとも、〈下品な話〉は大好物でございますとも。すっかり見透かされてますね。本作では、古栗の小説を読む愉しさと虚しさを同時に感じることができる。しっかし、古栗はほんと巧みだなあ。

 

 【木下古栗「人間の本性を考える」2014(「小説すばる」2014年10月号)】